お彼岸

「お彼岸」とは

「お彼岸」を説明しようとすると、「私たちにとって仏教とは」ということにつながります。「お彼岸」の内容と意義は「仏教を生活にどう活かすのか」という問いの答えとなります。日常生活における思考や言動に投影された仏教の姿であるからです。私たちにとって、これからを生きるためのとても大切な要素を見つけることができます。

お彼岸は、春分・秋分の日を中心とする前後3日、それぞれ合計7日間に、ご先祖様の供養をはじめ、日常生活の中で6つの要素を心にして実践する行事です。

6つの要素とは

布施(ふせ)

自分以外の人や存在・環境等のためを思い・考え・行動する

持戒(じかい)

約束を守り、良い習慣を身につける

忍辱(にんにく)

つらさや苦しさ、自分の弱さや失敗などから目をそらさずに認める。また嬉しい時にも有頂天や天狗にならない

精進(しょうじん)

一生懸命に努力をする

禅定(ぜんじょう)

心を落ち着かせて集中する

智慧(ちえ)

知識や経験を組み合わせ、活かすことで様々な角度や距離感で物事や状況を見つめる「気付き」を増やし、しなやかな心の力を育む

これらを「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と称します。「波羅蜜」は「波羅蜜多(はらみった)」を略した名称で、インドの言葉「パーラミター」の発音を漢字にあてたものです。この言葉は「彼岸に至る」という意味です。

「彼岸」は川の向こう側のことで、安心・安穏な心の境地を意味します。それに対して川のこちら側は「此岸(しがん)」といい、不安・不満や怒り、悲しみ、恐れなどの感情に振り回されてしまう現状のことです。「彼岸に至る」とは感情に振り回される状態から安心・安穏への至るプロセスを、川のこちら側から向こう岸へ渡ることに喩(たと)えた表現です。そのカギとなるのが「六波羅蜜」=「彼岸に至る6つの要素」、すなわち安心・安穏な心の状態になるためのてだてというわけです。

春分と秋分の時期にこの行事を迎えることにも所以(ゆえん)があります。この時期は昼と夜が同じ割合の長さになります。昼にも夜にもかたよらない状態が、相対する2つのどちらにもかたよることのない「中道(ちゅうどう)」という仏教の思想に通じているからであるといわれています。

本来は、期間にかかわらず普段の日常生活においてこの「六波羅蜜」を心にして実践することが大切なのですが、「お彼岸」という機会があることで意識を持っていただき、その後の日々における人や物・事柄・環境等との向き合い方をはじめ、話すこと・行う事・思う事・考える事等に活かしていくことができます。不安や不満・怒り等を多く感じてしまう中で生活をする私たちにとって、安心で心穏やかに生きることにつながるとても意味と意義のある期間です。

持戒

(じかい)

約束を守り、良い習慣を身につける

「六波羅蜜」は、新しく覚えたり身につけることではなく、元々私たちが持っている、あるいはできることを表現したものです。これらは別個のものではなく、融合されていたり組み合わせたりしながら実践されます。

例えばお墓参りは、ご先祖様をはじめとする大切な方への思いが基となりますから「布施」の心から始まります。お参りの日を決めてその日に出掛けることで「持戒」となります。その日が雨で、億劫な気持ちに負けずに自宅を出たら「忍辱」も加わるでしょう。お墓でお掃除をしたりお花やお線香をお供えしてご先祖様や大切な方と向き合い、お参りをするお気持ちと行動の中に「布施」「忍辱」「精進」「禅定」の要素があります。お参りを通して感じたことを、心の力にして日常生活に活かすことが「智慧」となります。私たちの思考や一挙手一挙動すべてにこうしたとらえ方をすることができます。その理由は、「六波羅蜜」は私たちが「人間らしく生きる」ための要素であるからです。

私たち人間の代表的な身体的特徴は、直立二足歩行と手の器用さです。進化生物学の研究で、その理由が語られています。
森に棲んでいた人間の祖先は、地殻変動によって生活の環境が大きく変わりました。豊富にあった食べ物も手に入れることが難しくなっていったそうです。そうした中で家族や仲間に少しでも多くの食べ物を運ぶための方法として直立二足歩行と手が進化したといわれています。人間の原点は他者への「優しさ」から生まれたものであることがわかります。「優しさの進化」が人間を人間たらしめる身体的特徴としてあらわれているのです。
また、人間が過酷な自然環境の中で生き続けることができた理由は、「弱さ」にあるといわれています。1人ひとりの存在の「弱さ」を認めて力を合わせ、協力することによって、食物連鎖や弱肉強食の理とは異なる存在方法をつくり出したわけです。
こうした過程の中で環境や状況の変化に対応しながら生き残ってきたことが、私たちが今存在していることで証明されています。

人間らしさとは、1人ひとりでは弱い存在であることを認め、それぞれが「優しさ」を存分に活かして周りの人と協力し、力を合わせて問題を乗り越えながら生きていくことにあります。そうしたことが廻(めぐ)って自分への「安心」や「安穏」につながっていきます。「自分だけが・・・」と思いながら生活していても一時の充足感と、慢性的な孤独感の中で生きることになります。自分のことを大切に思うのと同時に、直接的・間接的に自分以外の人や物・事柄・環境等の存在があるからこそ生きることができるという気持ちを持つことから視点や視野が広がります。それは自然に「優しさ」となり、自分の言動に表れて周囲の人や物・環境等と影響し合いながら、やがて自分に戻ってくる未来への布石や礎をつくっていくことになるのです。

現在、私たちは膨大な情報を浴び、すさまじい速度の交流のテンポで、様々な出来事に対して「忙しく」対応しながら毎日を生きています。人ひとりの「個」に対する便利さや効率が充実する反面、不安・不満要素も増えている状態です。感情に振り回されて自分を見つめる時間や機会を失ってしまうことも多くなります。「忙」という文字は「心を亡くす」と書きます。そうした中で自分がもっている「人間らしさ」を見失わないように、そして発揮できるようにしていく「生き方の地図」が「六波羅蜜」であり、「お彼岸」は自分自身と「生き方の地図」を照らし合わせる期間であるといえるのです。

コロナ禍により、現在生きている私たち誰もが初めて経験する状況で、日常生活が全世界共通の「いのちの問題」につながっています。自分だけでは解決できない問題があることを改めて思い知らされました。1人ひとり年齢や立場や環境等、違いがある中で共通項を見つけて合わせていく力が私たちにはあります。「仏教」は私たちが持っていないものを説いているのではなく、元々持っていて忘れていたもの、気付いていないことを知らせています。ワクチンや薬など、これまで人間が積み重ねてきた最先端の力と共に人間の原点である心の力の両輪でこれからを進んでいくことで「安心」へと向かっていくことができます。心の力は「誰かが」出してくれるまで待つものではありません。自分から発揮していくことが鍵となります。

「今」が未来をつくっていきます。先行きが不透明な状態が続いておりますが、私たちの持っている力を信じて、共に歩んでまいりましょう。

令和2年9月20日 妙蔵寺

メニュー