「花まつり」とはなんでしょう
花まつり
4月8日はお釈迦さまの誕生日です。この喜ばしい日を迎える行事を『花まつり』といいます。『降誕会(ごうたんえ)』『灌仏会(かんぶつえ)』『仏生会(ぶっしょうえ)』などともいわれ、宗派を問わず行われています。
たくさんの草花で飾られた花御堂(はなみどう)という小さなお堂の中心に、誕生仏のお像を安置し、甘茶を灌(そそ)ぐ「沐浴灌洗(もくよくかんせん)」をするという特徴をもつ行事です。『仏説摩訶刹頭経(ぶっせつまかせっとうきょう)』というお経には「沐浴灌洗」をすると無病息災で長寿が得られ家族や縁ある人もその功徳によって安穏に生きることができ、生涯を終えた時にはすみやかに仏さまになることができると説かれています。
誕生仏のお像
花まつりの由来
お釈迦さまの生涯は80年ということは共通しているのですが、降誕年は紀元前624年、紀元前566、紀元前463年などいくつか説があります。約2500年前にインドの東北、現在はネパール領に位置するルンビニーという場所でお生まれになりました。
生まれたばかりのお釈迦さまは7歩あゆんで右手で天を、左手で地を指して『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)』とおっしゃり、天からは龍が産湯のように甘露の香水を降らしたという伝承から始まりました。
花まつりの歴史
起源は古く、はじめはインドで行われ、4世紀頃に中国に伝わって日本では7世紀頃から行われるようになりました。推古天皇14年(606)の4月8日に奈良元興寺の金堂に丈六(約4.85m)の銅仏を安置して行ったものが最初であるとされています。仁明天皇の承知7年(840)に宮中で初めて花まつりが行われてから一般の寺院にも普及したといわれています。
釈迦さまのお像に灌(そそ)ぐ香水が甘茶になったのは江戸時代からで、伝承の「甘露」にならって用いられるようになったそうです。それまでは5種類の香料で5種類の水を作ったり、桃・李(すもも)・松・栢(かしわ)・柳の木を煎じた5種類の湯が用いられたりしていたようです。
花まつりの意義
『天上天下唯我独尊』という言葉は、間違ったとらえ方や誤解をされることがあります。お釈迦さまは「自分だけが尊い」という意味で発せられたものではありません。この世界に無限の可能性を持つ1つの「いのち」として生まれ、生きとし生けるものの代表としてこの言葉を口にされたのです。自分が尊いということは、同じように生きているすべての「いのち」が尊い存在であるということを意味しています。私たちそれぞれも、この世界で誰とも代わることのない、自分以外自分は存在しない唯だ1人の存在です。自分を高く見せようとしたり他と比べて偉いということではなく、立場や身分はもちろん、価値観や能力・条件・種族などの違いを超えたそのままの「いのち」は、平等に尊いということをこの言葉で表されているのです。
「いのち」を持つ存在それぞれがその力を発揮して生きています。他と比較や競争をして優劣や勝敗を決めたり、評価をしたりする中で生活をしている私たちにとって、その根本であり基本となる大切なことに立ち返り、自分自身をみつめる言葉として捉えることができるのではないでしょうか。
『花まつり』で安置されるお釈迦さまのお像は、この言葉を発せられた時のお姿を表しています。このお像に甘茶を灌(そそ)ぐ行為は、お釈迦さまのお姿に自身を投影し、自分の「いのち」を洗い清める沐浴であるといえます。誕生日は年を重ねると同時に、生まれた日からその次の1年間のスタートともなります。お釈迦さまのお誕生日をお祝いしながら、自分の存在をいつもとは違った視点で見つめて実感し、これからの1年に活かしていただく出発点が、『花まつり』という行事なのです。
妙蔵寺の花まつり
毎年7月、土用の丑の日に甘茶の木の葉を摘んで塩もみをして水洗いし、陰干しをしてつくった甘茶を使用します。
花御堂はヒノキの葉を敷き、境内に咲いている花で飾り付けをします。花の盛りに変化がありますので、毎年少しずつ屋根の趣も変わります。
当日午前11時より法要を行い、お釈迦さまのお誕生日をお祝いします。その前後には、訪れた皆様にお線香を立て甘茶をお釈迦さまのお像にかけるご供養とお参りをなさっていただきます。
お参りの後には、甘茶とともに草団子を召し上がっていただきながら春のひとときをお過ごしいただきます。
作法
- お線香を立て、誕生仏に合掌します
- ひしゃくを使って誕生仏に3回甘茶を灌(そそ)ぎます
- 再度誕生仏に向かって合掌し、安心と安穏を祈ります
- マスクの装着をお願い致します。(※)
- 手袋を着用の上、お参りいただきます。(※)
- 甘茶・草団子は無くなり次第終了となります。
※= 新型コロナ感染症蔓延防止のため、必要な場合におこないます。