第2回:むし歯と歯痛

folder_open妙蔵寺たより, 髙橋常男

2023年7月「妙蔵寺たより 124号」掲載
歯と口の健康志向のはなし

神奈川歯科大学 特任教授
髙橋常男

前回は歯の「構造とその特徴」について述べました。ここから、むし歯と歯痛について解説したいと思います。歯痛には歯に原因する場合と、歯と関係なく結果として歯の痛みを感じる場合がありますが、ここでは歯に由来するものについて解説したいと思います。ただ、むし歯に不測の外力や歯ぎしりでも歯にひびが入り、痛みが出ることもありますので、痛みを自覚するときは、ドクターによる鑑別診断が大切であることはいうまでもありません。

歯痛は、う蝕が原因で発症します。う蝕とは、むし歯をつくる菌が作り出した酸によって、歯(硬組織)が溶かされる病気の正式な病名で、カリエスともいいます。う蝕は、口腔内細菌による感染症です。う蝕に罹った歯は、「う歯」といいますが、黒っぽく着色化し、俗に「むし歯」(以下むし歯)といっています。

むし歯の歴史についてふれます。約五百万年前に、人類の歴史が始まったと考えられていますが、狩猟採取生活を行っていた数百万年の間の人類には、むし歯は発見されていません。最も古いむし歯らしきものは約二十万年前のネアンデルタール人で見つかっていますが、頻度は極めて少なく、比較的高い頻度で見つかるのは、農耕生活を始めた一万年前以降の人類においてです。そして、むし歯が高頻度で発生するようになったのは、砂糖の大量栽培が始まった十六世紀以降です。むし歯は人間に特有の病気であり、砂糖による食生活の変遷と密接に関係している文明病といえます。今や、動物園・水族館で飼育されている動物、愛玩動物にまで波及しています。治療が簡単にできませんので、直接寿命にも関係してきます。

「むし歯の直接の原因」は、歯の表面に付着している歯垢(プラーク)中に含まれる糖質を栄養源として主にミュータンス菌が代謝する際に産生する乳酸によって、歯の表面のエナメル質が溶かされること(脱灰:カルシウムの喪失)によります。無機質の脱灰現象に伴い、有機質の崩壊も随伴します。

う蝕は、①歯の質、②細菌の存在、③糖質(主に砂糖)の3つの因子が同時に存在しているときに発生します。う蝕の発生には、酸を作り出す菌の数や酸を作り出す食事の回数、摂取物の粘着性、砂糖の摂取量、唾液の状態など、そして3つの因子が関わり合える時間の経過などが大きく影響します。
むし歯をつくる菌は、主に親から感染すると考えられています(母子感染)。菌は生まれたばかりの赤ちゃんの口の中には見られず、歯のようなところしか住めないので、口の中に歯が生えていなければ、菌は生きていけません。菌は唾液を介してうつるため、歯科医学的には食べ物の口移しは容認しがたいことです。理論的には食器なども大人とは共有しないようにすることが予防法となっています。

では、むし歯の進行段階について述べたいと思います(図1)。卵が硬い殻によって内部が守られているように、エナメル質は象牙質や歯髄を覆って痛みや感染から守る防壁として大切な役割を果たしています。しかし、エナメル質表面が脱灰されて、つやがなくなり、白く濁ってみえる、初期のむし歯では、痛みなどの自覚症状はありません。さらに、脱灰が高度になると、エナメル質は溶けて歯面に小さい穴があいて、黒ずんでいることもあります(C1:エナメル質のむし歯)。冷たいものが”しみる”ことがありますが、まだ痛みはありません。う蝕がさらに深層に進み、エナメル質と象牙質の境界に達すると、病巣はエナメル質と象牙質の境に沿って、側方に拡がります(エナメル質表面では小さな穴でも、下層にある象牙質では脱灰の進行も速く、有機質も一緒に軟化崩壊し、より大きなう蝕病巣となります(C2:象牙質のむし歯)。この段階では象牙質の細管内の神経を刺激することから、冷たいものや甘いものがしみるようになり、痛むこともあります。むし歯菌が、象牙細管の中に侵入すると、細管の走向に沿って、容易に歯髄までに達します。さらに、感染が治癒能力の弱い歯髄に拡がってしまうと、激しい痛みがでます(C3:歯髄腔に達したむし歯)。これを放置すれば、歯髄内の神経の反応は不可逆的ですので、悪くなる一方です。やがて神経は死んでしまいますので、痛みはなくなります。感染してしまった歯髄(神経)は除去しなくてはなりません。さらに進んで、歯根までむし歯におかされると、歯の先端部に膿みがたまります。再び激しい痛みが起こります。歯の先端から歯周組織にまで炎症が波及しますと(歯周病)、根管内の炎症物質や異物を完全に除き洗浄、消毒をしなければなりません。この治療は膨大な時間と技術的にも大変複雑で困難な処置となります。
う蝕進行のバリアであるエナメル質を突破し、う蝕が象牙質に達したことを示す、「冷たいものにしみる」という症状は、生体の最初の防衛反応です。この段階で、むし歯を全て取り除き、感染していない神経を保護することで、一時的な痛みならば治まり、歯の神経を残せる可能性が高くなるわけです。したがって、最初の冷たいものに「歯がしみる現象」は、危険が差し迫った緊急状態を知らせる大切なサインです。このときに、迷うことなく駆け込むことができる、「かかりつけ歯科医」がいることが重要であることはいうまでもありません。ちなみに、う蝕の感受性は遺伝より歯が萌出した後の口腔内環境や生活習慣における影響が大きいといえます。

歯周病は、いまや国民病ともいわれています。そして生活習慣病の一つに位置づけられています。次号では、歯周病について、そして歯周病と生活習慣病との関わりなどについて解説したいと思います。

むし歯の断面観

髙橋 常男(たかはし つねお)

元神奈川歯科大学大学院 教授
神奈川歯科大学 特任教授
モンゴル国立医療大学 客員教授
鈴木学園 厚木総合専門学校歯科衛生学科 非常勤講師
国際文化学園 理容美容専門学校渋谷校 非常勤講師

CHIHIRO ENTERPRISE (株) 大学内
神奈川歯科大学百周年記念資料館 館長
和田精密歯研(株)東日本加工センター内
福島県岩瀬郡天栄村飯能大山10 ― 240
歯・口は “いのち ”の源 健康長寿資料館 館長

様々な役職を担いながら、人と人とをつなぐことで社会や福祉及び国際親善活動を積極的に行っている。
児童を対象(親子参加)に、体験を通じて理科・科学の素晴らし
さを実感できるLiCaClUBを2019年に結成している。
小学生を対象に、「手作り顕微鏡の作成と観察」と、卓上走査型電子顕微鏡を用いて「一万倍のミクロの世界の観察」など、顕微鏡観察の楽しさ、好奇心の醸成につながる企画を準備している。

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