第二十四回「コロナ禍雑感」

folder_open大島龍穏, 妙蔵寺たより

2020年秋「妙蔵寺たより 118号」掲載
“ともしび”を語る

本楽寺修徒 大島龍穏

今年に入ってから新型コロナウイルスによるいわゆるコロナ禍現象が猛威を振るい一向に終息の気配がありません。中国で発生し日本に広がり、更にはアメリカ、ブラジル、イタリア、インド、イギリス、スペイン、アフリカ等々全世界にその勢いは留まる事を知りません。
今や世界中の細菌学者をはじめ医学に従事する研究者達がワクチンの開発に死力を尽くし、奮闘されていますが未だ有効なワクチンは作られていません。その結果全世界の人々が病に苦しみ、感染を恐れ、それが引き金となって経済のバランスが崩れ大恐慌を来たしているのが現況です。かつては当たり前の人間生活が当たり前ではなくなり、外出制限はおろか、友人達との飲食、会話等もやたらに出来ぬ有様です。今回はその原因について考えてみました。

世間ではどうしたらこの流行の鎮静化を図ろうかと研究が進められています。私はそれも大切な事として認識しつつ、コロナ禍の最も根源的な要因は「人類の驕り」によるものではないかと思っています。今の世界は全て人間を中心に動いており、人の都合の良い様に開発され、その為に自然を破壊し、生態系すら崩した結果、数十年で100万程の固有種の生物が絶滅するだろうと言われています。確かに、より豊かな生活を維持する為に山を崩し、海を埋め立て、道路を整備し、住宅が建てられ、とても便利にはなりました。

又、食料も科学の進歩に伴い品種改良がなされた結果、食の心配がなくなり季節を問わずいつでも食料を得る事も出来ます。とてもありがたいのですが、それによって旬の野菜等という概念はいつの間にか忘れ去られてしまいました。

私達の日本には春夏秋冬があり、それぞれの季節により喜びを感じる事ができましたが、最近は秋が短く感じられませんか?
今年も連日の猛暑が終わるとほんの束の間に秋風が立ち、急に温度が下がり、秋の風情を感じる間もなく冬に入ってゆきそうです。
そして頻繁に発生する大災害です。そのたびに多くの犠牲者が出て、見るも無残な光景がテレビを通じて映し出されています。
これ等は自然災害ではなく人災ではないかと考えざるをえません。

コロナウイルスは最初に中国の武漢で海鮮売場に関連した人で集団発生し、また野生動物の取引の場からも検知されたそうです。何でもかんでも食べられるものは食べてしまえ、これを売って商売になればそれにこした事はない。金になれば、儲かりさえすればそれで良い、といった「人の欲とエゴ」が典型的な被害拡大につながったのではないでしょうか?

数日前の読売俳壇に「人類の所業咎むる雷雨かな」という句が載っていましたが、まさにコロナ禍という災害も人類に対する警鐘ではないかと思うのは的が外れているのでしょうか?
お釈迦様も「少ない欲で足りる事を知りなさい」という「少欲知足」を説かれています。これからでも決して遅くはありません。我々人間も自然の中に生かされている生き物の一種だという自覚を一人一人が持ち驕りを捨てて生きていく事がいかに大切なのだと心に銘じたいものと思っています。

大島 龍穏(おおしま りゅうおん)

大島龍穏

1946(昭和21)年生まれ 横須賀市鷹取在住 福井県 本楽寺 修徒
高校卒業後、神奈川県警の警察官となる。様々な死を目の当たりにし、家族を失った遺族の悲しみや苦しみの心に “ともしび” を灯すために横須賀署刑事一課強行犯係長時に警察官を辞め、僧侶となる。全国をまわっての講演や法要等に加え、無料相談所「みちしるべ」を立ち上げ、相談者の悩みを受け止めて解決に導く活動を開始。
現在、久里浜少年院篤志面接院会長。型にはまらない方法で仏教の教えを実践している。著書に『鬼刑事僧侶になる』(サンマーク出版) 『定年出家』(小学館)。
妙蔵寺では「心の時間」を共に主催され、お彼岸やお盆のお経まわりや行事法要をお勤めいただいております。

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