2020年7月21日「妙蔵寺たより 117号」掲載
“ともしび”を語る
本楽寺修徒 大島龍穏
私たちの日常の中で常に湧き上がるのが不安です。一度不安に陥ると、正常な判断がつかなくなり、いたずらに思い悩み揚句の果てに精神的・肉体的に崩れてしまう事がよくあります。
不安の元は先の見えない事なのにあたかも絶望的な未来に自身の心を落ち込ませてしまうからなのでしょうね。
健康問題や金銭問題をはじめ、家庭内トラブル・人間関係・学業・仕事等々数え上げればきりがありません。病気に例えれば、発熱・吐き気・下痢等が治まらないと、「今騒がれているコロナではないか?あるいはもっと重い病気ではないのか?」と増々不安が高まります。そうなると、「どんどん病状が悪化し、ついには死に至るのではないのか?」等々決して良い方向に考えが及ばず、心配だけが先走りしてしまうのです。その結果、体調を崩し、治る病気も治らなくなってしまいます。又、金銭面に不安を感じるとこのままだと生活が出来なくなり、家庭崩壊し、前途を悲観し死を考えてしまう等々、本当は現状を乗り越える手段があるにもかかわらず何の手立てもせず、目の前の不安に押し潰され最悪の事態を想定し落ち込んでしまうのが不安の実態です。これらは勿体無い事ですよね。
先の見えない事にきゅうきゅうとしていたのでは、一歩たりとも前には進めません。「自分で自分の首を絞める」という言葉がありますがまさにその通りだと思います。
一方、不安の対極にあるのが安心です。安心とは「心が落ち着き心配の無い事」あるいは「心身を天命にまかせ心の乱れの無い事」、仏教的に言うなら「信仰や実践により到達する心の安らぎ」を意味するといわれています。その為には、今置かれている状況をありのまま見つめ、最大限の努力をし、今この時を乗り越える事こそ大切なのです。そして次の段階に来た時は、その事だけを乗り越える。先の見えない不安は、目の前にある問題を自分なりに解消する事によりきっと良い結果につながると思うのです。余計な事に心を痛めるのは、全く馬鹿げています。
不安はどんな人にもつきまとう負の遺産ですが、考え方や見方の角度を変える事により光が見えてくるものです。つまり何があっても「なる様にしかならない」と心を決めれば、いたずらにバタバタとせず多少なりとも安心感を得られるのでしょうね。
私は若い頃からピンチに立たされた時には開き直って「さあ殺せ」をモットーに生きてきました。そう思う事により不安感や恐怖心に打ち勝てる様な気になったものですから、皆様おすすめですよ。
大島 龍穏(おおしま りゅうおん)
1946(昭和21)年生まれ 横須賀市鷹取在住 福井県 本楽寺 修徒
高校卒業後、神奈川県警の警察官となる。様々な死を目の当たりにし、家族を失った遺族の悲しみや苦しみの心に “ともしび” を灯すために横須賀署刑事一課強行犯係長時に警察官を辞め、僧侶となる。全国をまわっての講演や法要等に加え、無料相談所「みちしるべ」を立ち上げ、相談者の悩みを受け止めて解決に導く活動を開始。
現在、久里浜少年院篤志面接院会長。型にはまらない方法で仏教の教えを実践している。著書に『鬼刑事僧侶になる』(サンマーク出版) 『定年出家』(小学館)。
妙蔵寺では「心の時間」を共に主催され、お彼岸やお盆のお経まわりや行事法要をお勤めいただいております。