2021年春「妙蔵寺たより 119号」掲載
“ともしび”を語る
本楽寺修徒 大島龍穏
随分昔の話になりますが、養鶏業者が人里離れた山奥で数百羽の鶏を飼育していました。鶏糞の臭いが強烈であることを考慮し、近隣の迷惑を考えて辺鄙な場所でひっそりと経営しておりました。
ところが都市化が進み、山が崩され、周りに人家が建ち並び始めると、元々あった養鶏場に対して、「こんな場所での養鶏はとんでもない。」という住民運動が起こり、廃業を余儀なくされてしまいました。
又、ある所にお寺がありました。この場所は比較的住宅の少ない山麓にあったのですが、ここも周囲の田んぼや畑が潰され、住宅地となってから新たに越してきた住民が「お寺の鐘がうるさい。」と苦情を申し立てとうとう鐘撞きが廃止に追い込まれてしまいました。
あるいは、「幼稚園や小学校の子供の声が煩い。」という声が高まり、あの元気のある声が聞こえなくなってしまった地域があると聞いています。
苦情を言いつのる人達の気持ちも分からない訳ではありませんが、あまりにも身勝手とは思いませんか?私の常識では、お寺の鐘は心に沁み渡りとても穏やかな気持ちになりますし、子供達の遊び声は生命の喜びそのものに聞こえます。
十人十色ですから私の考えが絶対正しいとはいいませんが、しかし、自分の主張を通す為に周囲を巻き込み住民運動を煽り立てて、思う通りにしようとする人々がかなり増えているのはいかがなものでしょうか?
昔は隣人同士が助け合い、励まし合って穏やかに生活していたものですが、残念ながら今や自分は自分、人は人という考えのもとに隣人トラブルが絶える事がありません。
仏教には「自利利他」、「忘己利他」という教えがあります。
これは「自分の事は二の次にしてまず他の人の幸福を考えよう」ということを表現した言葉です。その為には是非善悪、物事の真理をしっかりと学び、それを他の人の為にいかしていこうという姿がとても大切なのではないかなと思っていますが、皆様いかがでしょうか?
大島 龍穏(おおしま りゅうおん)
1946(昭和21)年生まれ 横須賀市鷹取在住 福井県 本楽寺 修徒
高校卒業後、神奈川県警の警察官となる。様々な死を目の当たりにし、家族を失った遺族の悲しみや苦しみの心に “ともしび” を灯すために横須賀署刑事一課強行犯係長時に警察官を辞め、僧侶となる。全国をまわっての講演や法要等に加え、無料相談所「みちしるべ」を立ち上げ、相談者の悩みを受け止めて解決に導く活動を開始。
現在、久里浜少年院篤志面接院会長。型にはまらない方法で仏教の教えを実践している。著書に『鬼刑事僧侶になる』(サンマーク出版) 『定年出家』(小学館)。
妙蔵寺では「心の時間」を共に主催され、お彼岸やお盆のお経まわりや行事法要をお勤めいただいております。