第二十七回「小さな命」

folder_open大島龍穏, 妙蔵寺たより

2021年12月「妙蔵寺たより 121号」掲載
“ともしび”を語る

本楽寺修徒 大島龍穏

命は宇宙や地球から微生物・細胞まで大小さまざまに存在し、それぞれが社会の中で、充分尊重されなければならないと常日頃考えています。

大きな命といえば我々人間社会においては勿論、人の命ほど大切なものはありません。ですから、人の命を守り、人の生活を繫栄させていく事に全人類がこぞって邁進しています。それは今も、これからも、人間が存在しているかぎり永遠と続くものなのでしょう。

またこの地球には野生に生きるライオン・トラ・象あるいは人の保護を受けて生存している犬・猫・小鳥・魚など数多くの生き物、あるいは草や木等の植物、更にはセミ・トンボ・蝶等の昆虫類という具合に数え上げたらきりがない位の命が溢れています。こうしたそれぞれの存在は与えられた命を精一杯に生き抜いているのです。

毎年の様に夏の終わりが近づいてくると命を終えようとするセミが路上や庭に仰向けにひっくり返り、か細い声でジ、ジ、ジッと足を痙攣させている姿が見うけられます。ほんの少し前迄生命を謳歌していたセミが最後を迎えている様子を見ていると、何とも言えぬ哀感ともの悲しさを覚えるのは私だけでしょうか?小さな命が人知れず終焉を迎える姿を、自分自身のこととして考えてみると世の中を渡って行くのには辛すぎます。一方でこの小さな生命を慈しむ心がないと、人間は不遜な生き物になり下がってしまうのではないかと思うのです。
横須賀警察署時代の俳句仲間の女性の句に

「片足のバッタ見つけた 葉に乗せた」

という作品がありました。私はこの句を見て、えらく感動を覚えました。作者が庭にいたのか、山道を歩いていたのかは判りませんが、たまたま片足のバッタを見つけたのでしょう。その姿に気付き、そっと手に包み跳躍しにくいバッタの身になって、葉の上に乗せたという句意に受け取りました。

この様に小さな命にも目を向け、心を動かしてみると、道端に人知れず咲く名も無い花や、せわしなく歩きまわるアリ、川面を掠めて飛翔するトンボにも命の温もりとエネルギーを感じる事ができます。

小さな命を守る事は大きな命を守る事に繋がるのではないでしょうか。

身のまわりで当たり前にいる存在ですが、時には優しい気持ちで命そのものを考えてみてはいかがでしょうか?命の繋がりを感じながら生きていくことで、世の中は、そして人間は、今よりも豊かに変わっていくのでしょうね。

大島 龍穏(おおしま りゅうおん)

大島龍穏

1946(昭和21)年生まれ 横須賀市鷹取在住 福井県 本楽寺 修徒
高校卒業後、神奈川県警の警察官となる。様々な死を目の当たりにし、家族を失った遺族の悲しみや苦しみの心に “ともしび” を灯すために横須賀署刑事一課強行犯係長時に警察官を辞め、僧侶となる。全国をまわっての講演や法要等に加え、無料相談所「みちしるべ」を立ち上げ、相談者の悩みを受け止めて解決に導く活動を開始。
現在、久里浜少年院篤志面接院会長。型にはまらない方法で仏教の教えを実践している。著書に『鬼刑事僧侶になる』(サンマーク出版) 『定年出家』(小学館)。
妙蔵寺では「心の時間」を共に主催され、お彼岸やお盆のお経まわりや行事法要をお勤めいただいております。

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