2020年3月20日「妙蔵寺たより 116号」掲載
―妙蔵寺の自然―
NPO法人 三浦半島生物多様性保全理事長
天白牧夫
最近小学校で授業をするたび、必ず紹介しているものがあります。映画『となりのトトロ』の冒頭のワンシーン、のどかな田園風景の画像や、この地域の昔の写真や古地図です。生徒たちはみな純朴で、目を丸くして驚くのですが、「では、これを懐かしいと思う人は?」と聞くとほとんどゼロです。中には「田舎が新潟で~」という子も若干いますが、砂利道を草履で駆け回って遊ぶか半強制的に百姓の仕事の手伝いをさせられるかの日々を送っている子はもういないでしょう。
ふと思えば、自分も確かに子どもの頃は畦道でトンボを捕まえたり、春先にどうしてこんなにカエルが沸いて出てくるのか感心したり、アメリカザリガニのヌシとの知恵比べに数日を要したりと、それなりの原体験をしていたような気はしますが、バリバリの現代っ子でした。敢えてそういう場所を選んで遊んでいただけで、道路は舗装されて歩道と車道が分かれていたし、家も普通の注文住宅で、友人たちはスーパーファミコンやゲームボーイに夢中でした。
地球上には過去に様々な巨大文明が存在していましたが、そのほぼ全てが滅亡したか、かなり細々とした状態で存続する運命をたどっています。現代文明は確かにこれまでにないほどに栄えていますが、それは同時に、衰退するときの落差がどんどん大きくなっているとも言えます。意外にも、地球上で最も持続的だった文明の1つが日本の縄文時代です。社会構造がしっかりした一つの文明で約1万5千年間も栄えていました。弥生文化の伝来により、ある者はその中に身を置き、ある者は蝦夷と琉球で干渉されずに生きることを選んだことで縄文時代は終わりましたが、決して縄文文化に欠点があって滅んだわけではないと思います。縄文人が子孫のためにどんな心意気で暮らしてきたのか、現代人にはとても計り知れないと思いますが、樹齢何百年の木を建材として継承していたことや、建物を建て替えても同じ位置に同じ建物を作り続けていたことを考えても、顔も見ることのできない遠い世代間同士の心の交流がしっかりできていたことがうかがえます。人口を無秩序に膨張させ町を拡大させることよりも、環境との調和を重視したことで持続したのです。
自然保護の世界では、これまでの自然の歴史に証明されているものが「善」で、人間の影響で変わってしまったものが「その生態系に与える影響が予測不能」との理由から「悪」であるという哲学を持っています。自然というものが実に複雑で、人がすべて把握して判断するのが不可能だからです。しかし私たちは、世代が変わるごとに見ている風景が違っている時代に生きています。そしてその風景が、年々無機的で、自然の少ない、生態系の壊れた、持続可能では無いものに遷り変わっています。「本来どんな環境だったか」が年々わかりにくくなっているのです。それが非常に危険な状態であることに、そろそろ本気で向き合わなければなりません。昨今の「これまで経験したことのないような」自然災害、生態学者から見れば大型台風や東日本大震災も含めほとんどが人災です。次の世代でなく、十世代百世代後にどんな風景で暮らしてもらうべきか、具体的に考え始めても良いのではないでしょうか。おのずとコンパクトシティで快適なスローライフの絵が描けるはずです。
天白 牧夫(てんぱくまきお)
博士(生物資源科学)
NPO法人 三浦半島生物多様性保全 代表
1986年、横須賀市阿部倉で生まれ育つ。
中学生の頃、環境保全活動家の柴田敏隆氏に出会い、師事。三浦半島で自然観察会や里山保全活動を展開しつつ、妙蔵寺の活動理念に深く賛同し周辺の自然環境の保全について提案、実践している。研究者としては大学3年時から爬虫類・両棲類の景観生態学的研究を進め、現在に至る。NPO法人では、三浦半島で最も危機的な自然は谷戸田を中心とする農村環境であるととらえ、企業や行政と連携し、市内各所で復田と環境学習に取り組んでいる。