有り難い普通

folder_open妙蔵寺コラム, 妙蔵寺たより

久方ぶりに親しい人と直接顔を合わせることが出来た時のホッとする感じ、またマスクを外した時の開放感や呼吸のしやすさはここ数ヶ月の生活で多くの方が実感されたのではないでしょうか。

これまでの「普通」がそうではなくなった状況で考えますと、「普通」であるというのは、実は「有り難い」ものであると気付きます。この言葉は感謝や嬉しさを表す形で使われていますが、読んで字のごとく「有ることが難しい」、つまり私たちにとってこれまで「普通」であったことは「稀有」なことであるということです。

現状では、まだしばらくは感染予防の影響下で生活をせざるを得ないようです。そうした中で従来の「普通」を求めると「あれもできない」「これもダメ」と減点法で捉えがちになります。嬉しい出来事や楽しい事などプラスの要素があっても、理想との差を減点することになり、不安や不満がさらに増えてしまいます。

先が見えない状況になっている現在、「普通」を「有り難い」ものであると捉え、できる事・できた事を心にプラスしていく加点法を意識していくことが心の安定につながります。

減点法も加点法もそのゴールは同じですが、不安を抱えながら生活していく上でこの違いはとても大きくなります。

私たちにとって、行動や判断が、ただちに正解・不正解と判定できるものではなくなっています。人と人との物理的な距離感も以前とは変化していきます。そうした中で実感できた「有り難さ」を心の柱として日常生活に活かし、模索しながら嬉しい事や楽しい事を見つけていくことが、この未曽有の状況を乗り越えていく推進力になります。

一人ひとりの日常生活が、全世界で共通の「いのちの問題」と向き合うことにつながっています。心の力を発揮しながら共に生きましょう。それから、くれぐれも頑張っている自分を褒めることを忘れずに。

Tags: 妙蔵寺住職

関連記事

keyboard_arrow_up