「安心」と妄語

folder_open妙蔵寺コラム, 妙蔵寺たより

こんなにも「安心」という言葉が実状からかけ離れた形で使われていると感じたことはありません。身近な言葉であると同時に大切な言葉であるからこそ、今の使われ方に対する違和感が大きくなっています。

「安心」は『広辞苑』によると[心配・不安がなくて、心が安らぐこと。また、安らかなこと]とあります。仏教では「あんじん」と読み、実践することによって、安定して心の安らぎが持続する状態で、私たちが実感できるゴールの一つの姿を表しています。

私たちは、これまで気遣いや我慢・自粛をし、状況の変化に耐えながら日常生活の中で「安心」に近づこうとしています。一方、スローガンのように「安心」を唱えつつ反対の方向に動いている、あるいは近づこうとしない様子を感じた方もいらっしゃると思います。

目標や求めている事柄を実現させようとするときには、そこに向かう姿勢が表れます。それが感じられない言葉は「妄語(もうご)」です。妄(みだ)りに語る、すなわちいい加減なことを語るということを意味しています。これは仏教で行ってはならない戒(いましめ)の一つとなっています。

言葉は人の心を左右するものです。耐え忍んできた立場で現況を見ると、不信感と共に徒労感を感じてしまいます。これが、問題との向き合いから他者との比較に意識が向いてしまうことにつながり、人と人との間に分断を生んでしまうことが懸念されます。これまで世代や立場の違いを超え、お思いやりの気持ちでウイルスの問題に向き合ってきていますが、他者との比較に意識が向いてしまうと、意見や条件・立場等の違いが目につき、不公平感を抱きやすくなってしまいます。「安心」という言葉が利用されて人災をつくり、その影響が私たちに還ってきてしまう恐れが出ています。

現在の日本は不確定要素に満ちた環境になっています。少し先の未来でも、どうなるのか予想ができません。不安や恐れを感じながら生活している状況です。その蓄積もありますので感情的になりやすいことを自覚しつつ、まずは心が安らぐ、笑顔になれるひとときをつくり、それを自分の心にプラスして小さな「安心」を重ねていくことが大切です。

この問題に関して今お寺でできることは、早期収束を祈願することと、疲れたお気持ちを支え、不安や怖れを受け止めることです。お気持ちをお話しいただくなど当山をご利用ください。

対策が少しずつ進み、光も見えてきました。然るべき機会に意思を表しながら、実感できる「安心」に向けて日々精進致してまいります。

2021年7月「妙蔵寺たより 120号」掲載

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