緊急事態宣言が解除され、行動が個々の判断に委ねられるようになってきました。完全に安全であるとは言い切れない環境下において、手探りで様々なことを判断しなければならない今は、とても難しい状況にあります。自分と他者との関係性の中で感覚や意識・意見とそれに基づく生活様式や行動に多くの「違い」が生まれており、これをどう受け止めるのかということが課題となっています。
現状において、まだ不安や心配な気持ちの方が安堵感や開放感を上回っている人からすれば、その逆の感覚の人に対してどのような気持ちになるでしょうか。
安全・安心が当たり前とされていた時にはあまり意識されていなかった事でも、不安要素がある中においては、ちょっとした言動が、思わぬ形で影響を及ぼします。「違い」が人と人との間に対立や分断を生む原因になってしまうこともあるのです。
「違い」を認識すると、自分が大切にしていることを否定されているように感じ、相手が間違っていると判断して軽んじてしまいがちですが、それとは別の姿勢がお経の言葉に見られます。「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」これはののしられても、暴力を振るわれても怒りの心を起こさずに距離を取りつつ相手を思いやって拝むということを実践された常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という方の言葉です。現実的にとらえる事が難しい言葉に思えますが、宮澤賢治はこの菩薩の姿勢を、自身の生き方の理想として投影し、綴った詩が『雨ニモマケズ』であるといわれています。
「違い」を否定するだけではなく、相手の立場になって考えると、もう一つの視点が生まれます。「違い」を受け入れることは容易ではありませんが、過剰に感情に振り回されないよう、時には距離をとり、角度を変えながらその視点を自分のものにすることが、多面的に物事を見ることにつながります。これが問題を解決する心の力となります。
不明瞭な状況に「オロオロ」しつつ、思いやりの心を持った「デクノボー」の姿が、これからを心穏やかに生きるヒントなっているように思えるのです。
2021年12月「妙蔵寺たより 121号」掲載