小さなはじまり

folder_open妙蔵寺コラム, 妙蔵寺たより

日常生活が変わってから半年以上が経ちました。ゴールが見えない中、楽しみたい気持ちを「我慢」して予定を中止したり、暑さを「我慢」してマスクをするなど感染防止に気を遣い、目に見えない不安や恐れを「我慢」する期間が長くなってくると、気持ちをどこに向けたら良いのか戸惑ったり、心が疲れてしまう感覚に思い当る方もいらっしゃるのではないでしょうか。

先日テレビで電子顕微鏡の映像を目にしました。それは複数の一定リズムで収縮運動する細胞で、それぞれ違うタイミングで動いているのですが、細胞同士がつながると、動きが同じになる様子を観察したものでした。

これは人間の心臓と同じ仕組みを持つネズミの心筋細胞で、動きが同期する性質をもち、それが心臓全体のまとまった動きになるというものでした。自分の体が、0.1ミリの小さな細胞のはたらきが源となって支えられていることに感動しました。小さな力が集まることの大切さを示してくれたような気がしました。

仏教における「我慢」は強い自我の慢心、相手や周りへの意識を軽んじることから生じる思い上がりの心を意味します。これは強すぎると相手や周りに不安や混乱を与えます。現在の用法の逆が本来の意味というわけです。

冒頭で述べたような「我慢」は、相手や周りを大切にし、不安や恐れを共感・共有して心をつなぎ、協力して問題を乗り越えようとする尊い要素です。

小さな心筋細胞がいのちを支える源になっているように、一人ひとりが意識をして実践していることで、不安や恐れを和らげる大きな力になっています。

一方でそれだけに、個々への負担は大きくなります。当山では『ちょこっと心の時間』など、個別にこれまでの「我慢」で蓄積されたお気持ちをお話しいただく時間を設けております。疲れた心をケアしながら、もう少しこの感染症への策が見えてくるまでの間、共に歩んでまいりましょう。

Tags: 妙蔵寺住職

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