再建の日から満100年「本山の本堂」

明治19年(1886)1月11日、当山の本堂は放火が原因の火災で全焼しました。これには神仏分離令から触発された廃仏毀釈など、当時の社会状況が大きく影響していたことがわかっています。多くの貴重な文化財が失われたこの時代の爪痕が、当山にも歴史的事実として残ることとなりました。

8年後の明治27年(1894)5月15日に茅葺の仮本堂が建てられました。今般御降誕800年を記念して修復されました日蓮聖人像は、元々明治28年(1895)に造立されていることから、この仮本堂に安置されていたことがわかります。
大正九年(1920)現堀ノ内の泉福寺から当山43世の住職として移られた慈光院日要上人は、本堂再建の強い思いを持っておられました。火災後まもなく建てられていた当時の庫裡(客殿)の状態は、屋内でも上を見上げると空の星が見え、寺族の者は途方に暮れていたといいます。

そして大正12年(1923)、日要上人を中心に檀信徒の皆様や地域・近隣寺院等、多くの方々のご尽力により悲願でありました本堂の建立が成し遂げられました。本年8月31日、御本尊であるお釈迦さまの安心の世界を内包したこの本堂の再建の日から満100年を迎えます。

2度の瓦の交換や、幾度かの大小の補修を受けながら、お釈迦さまの世界とご先祖様や大切な方々、そして私たちをお題目で繋ぐ精舎として明治・大正・昭和・平成・令和という時代、3万6525日、87万6600時間、5259万6000分、31億5576万秒の時を紡いでまいりました。

御題目を唱える声は「染み込む」と言われております。100年の間に唱えられた『南無妙法蓮華経』の声と、このお題目に込められた思いが、本堂に浸透しているのです。皆様ご自身や御父母様はじめ、世代を超えて多くのゆかりの方々のお声と思いが本堂に込められているということになります。

これまでの年月を大切に守りながら、これからも様々に変化していく社会や日常の中で、安心の象徴となり、発信の場となりますよう尽力してまいります。

皆様におかれましてはお参りの際、本堂で御自身の『南無妙法蓮華経』のお声を本堂に染み込ませてみてください。そのお声はご先祖様や大切な方々と共なる本堂の歴史となります。そしてこれまでのたくさんのお題目の声とつながって心穏やかに生きる力となります。安心への要素を少しずつ積み重ねていきましょう。

2023年7月「妙蔵寺たより 124号」掲載

Tags: 妙蔵寺住職

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