消えゆく茅の文化

folder_open天白牧夫, 妙蔵寺たより

2021年7月「妙蔵寺たより 120号」掲載
―妙蔵寺の自然―

NPO法人 三浦半島生物多様性保全理事長
天白牧夫

妙藏寺の背後に控える大楠山や二子山は、今ではこんもりと木々が生い茂る立派な森に見えます。原生林のような趣も感じますが、代々この地域で暮らしている人でない限りは、ここがかつては細々とした木しかないハゲ山であったとは想像もつかないことだと思います。樹木は薪炭のために「輪伐」といって定期的に全部伐採されており、薪炭に必要な林のほかは茅場あるいはカヤトという茅の生い茂る山肌が維持されていました。1688年の秋谷村の持分であった山の植生の割合は、雑木が11ha(ヘクタール)、松が15ha、草が31ha、茅が123haであったそうで、茅の生えている面積が圧倒的に多かったことがわかります。それが現在は、例えば湘南国際村めぐりの森の112haの中では、茅が主体の草原は約8haで、それ以外の約104haは樹林になります。自給自足の暮らしをしていた時代と現代とでは、茅と樹林の面積の割合が逆転しているのです。

今は、三浦半島の里山で自給自足の暮らしをしている人はいません。スーパーに行けば全国から集められた米が安価に手に入り、ガソリンや電気も中東のどこかで採取された原料に依存しています。三浦半島の山は、人による資源の収奪を免れるようになったのです。その結果が今見えている、人の維持管理がされなくなった景色です。

かつては裏山の薪がなければ、風呂も焚けずご飯も食べられません。ですから薪を収穫するための雑木林がそれなりに必要だったことはわかります。しかし、薪の山の10倍の面積も必要だった、茅とは一体何でしょうか。地域によってはヨシやカルカヤ、チガヤ、オギ、クマザサなどを指すこともあるようですが、三浦半島ではススキを指します。この地域では農作業や荷物の運搬には、もともと牛馬を使っていました。その餌や敷き草に一定量使っていたでしょうが、おそらく最も必要となるのは茅葺き屋根の原料としてのススキです。現代の茅葺き手法で1軒の屋根を葺くのに約30haの茅場が必要と言われているので、1688年の秋谷村の持っていた茅場では年間に4軒しか葺けないことになります。1回葺き替えてしまえば2~30年は耐えられます。123haというと単純計算で120家族くらいが建物を維持していけるだけの茅場ということになりますが、実は秋谷村の当時の戸数は275軒だったそうで、しかも茅の出荷もして年間10両の売上があったそうです。きっと今では考えられないような効率的な方法で、限られた資源を最大級に活かしていたのでしょう。昔の日本の風景画を見ると、ハゲ山に松がちょろちょろと生えているだけのような景色をしています。作物を生産していても今のように「規格外」を捨てたりせず、どんなものでも上手に利用してきた人たちが育ててきた山です、枯れ枝一本落ちていないハゲ山の風景画は、誇張して描いたものとは思えなくなるものです。

ところで茅は雨風をしのいで生きていくために三浦半島の人々にとって必要不可欠な植物だったことから、人々の心に深く印象づけられていた植物だと思います。十五夜のお供え物としては今でも使っています。秋の七草、「尾花」もススキのことです。夏の大祓では、カヤで作った大きな輪をくぐり身を清める「茅の輪くぐり」が行われます。和歌にもよく詠まれています。炭を入れておく炭俵も茅で作られていたそうです。本来はもっと様々な茅の活用のエピソードがあったのだと思いますが、ぜひ身の回りで記録や言い伝えを発掘してみてください。

妙藏寺では、自動販売機の屋根として茅葺きの東屋をボランティアで集まって作っています。材料は湘南国際村めぐりの森で育てているススキを使っています。良い茅場を維持するには、毎年全部刈り取る必要があり、茅場の保全は茅の利用とセットで考える必要があるのです。茅場を再生すると、もともと生えていたようなヤマユリやヤマハギも自然に復活してきます。キジやノウサギも駆け回っている、山の中の草原です。まだまだ狭い茅場ですし、まだまだ修行が足りない茅葺き技術ですが、時間をかけて育てていきたいと思っています。今回の屋根には、棟に芝を乗せています。現在の茅葺き家屋は作業の簡略化から板やトタン、瓦などで棟を仕上げていますが、本来は芝棟が一番長持ちし、乾燥に強いイチハツやカンゾウを植えておくと花の見栄えも良いので専らこのタイプだったようです。新建材が手に入り始めた戦前から芝棟はほとんど作られなくなったそうです。

今ではちょっとした飾りにしか使われなくなったススキも、本来は建材や農業に無くてはならないもので、その暮らしの中から茅の文化的な存在感も増してきたのです。そう考えると、現代は代表的な屋根材であるガルバリウム鋼板や瓦、農業資材のビニールマルチや園芸ポールを、四季折々お供えしたり祀ったり歌ったりすることはありません。モノの豊かさを求めるあまり、自然だけではなく文化の豊かさも置き去りになっているのかもしれませんね。

天白 牧夫(てんぱくまきお)

天白牧夫

博士(生物資源科学)
NPO法人 三浦半島生物多様性保全 代表

1986年、横須賀市阿部倉で生まれ育つ。
中学生の頃、環境保全活動家の柴田敏隆氏に出会い、師事。三浦半島で自然観察会や里山保全活動を展開しつつ、妙蔵寺の活動理念に深く賛同し周辺の自然環境の保全について提案、実践している。研究者としては大学3年時から爬虫類・両棲類の景観生態学的研究を進め、現在に至る。NPO法人では、三浦半島で最も危機的な自然は谷戸田を中心とする農村環境であるととらえ、企業や行政と連携し、市内各所で復田と環境学習に取り組んでいる。

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