2021年12月「妙蔵寺たより 121号」掲載
―妙蔵寺の自然―
NPO法人 三浦半島生物多様性保全理事長
天白牧夫
広報よこすか11月号で、これまであまり語ってこなかった身の上話を披露することになりましたが、字数の関係で十分表現することができませんでした。今回この場をお借りして、なぜ天白牧夫は自然保護活動家になったのか、目指す世界とはどのようなものなのか、僭越ながらご紹介したいと思います。
クラスに若干いるような、生き物が好きな幼少期を過ごし、阿部倉の野山を駆けまわってはトンボやアメリカザリガニを捕まえて遊んでいました。傷ついた動物や、壊されていく横須賀の自然を見るといたたまれない気持ちになりつつも、どうすれば良いのか全くわからずにいました。
最も大きな転機は中学生のころ、自然観察会の草分け的存在だった故・柴田敏隆先生が外部講師として授業に訪れ、その時初めて自然保護が仕事になることを知り、たまたま家が近かったので押しかけ鞄持ちを始めたのでした。柴田先生の弟子の方々からも多くのことを伝授され、三浦半島の自然や自然保護団体がどうあるべきか、濃密に学ばせていただきました。また、自然保護活動家が最大の力を発揮できるのは、自分が住んでいる地域だということもわかりました。生態系は本来数百年、数千年以上の大きな時間の単位で時代が推移していくものです。10年先は新時代になっている現代社会では自然界への配慮は置き去りになりがちですが、限られた条件下で可能な限り自然を守り、少しでもましな形で未来に遺すことが大切です。周囲の活動団体の栄枯盛衰や、これまで支えてくださっていた師匠陣との永遠の別れも経験しました。心細さに打ちのめされながらも世代を超えてその夢を実現させる責務を感じ、次世代のためにより多くの種を蒔きつつ実践的な環境保全活動の具体化に奮闘しています。
先輩方から託された役割の一つとして、里山の生態系の保護がありました。里山と聞くと、雑木林やのどかな田園風景を思い浮かべる人が多いと思います。三浦半島では、谷戸の田んぼの景観が最も特徴的でしょう。その景観がどうしてできているかと言えば、お百姓さんが生活のために農地や野山を長い年月かけて徹底的に手入れしてきたためにほかなりません。決して生き物や風景をよくするために無償労働をしていたわけではなかったはずですが、こうした伝統的な管理が無くなれば里山は壊れ、里山の環境に依存してきた最も身近だった生き物は絶滅危惧種や絶滅種へと変わります。景観が失われ、生物もいなくなれば、ここはいったい何なのか――その程度の地域の環境を人々が慈しむことは難しくなって負の循環に陥るでしょう。
里山を取り戻すといっても、自給自足と物々交換の社会構造が衰退した現代では、元のお百姓さんの生き方に回帰することはよほどの覚悟がある農家でも困難です。そもそも、お百姓さんとは規格品の野菜だけ作れる現代農家とは全く違う仕事だと思います。その一方で、自然と濃いふれあいを求める人々のニーズは年々高まっているように思います。テレビ番組でその方面の視聴率が高いことからもわかると思います。里山での伝統的な手入れを守りながら、都市住民の自然体験や企業活動のあらゆるニーズに応えてなんでもやるのが、新時代のお百姓、里山環境保全団体のあるべき姿だと思っています。まさに貧乏暇無しです。
こうした実践的な環境保全活動と並んで大切なのが、子どもたちへの環境教育だと思います。学校での環境学習を偶然受講する機会に恵まれたために「三浦半島自然保護の会」に参加し、NPO法人も立ち上げて博士にまでなってしまった自分だからこそ、最初のきっかけの大切さは身をもってわかります。自然探検など本来は大人が誘うものではなくて、子どもたちのコミュニティーで地域の自然環境の遊びや穴場や秘訣が代々伝承されていました。それは最も身近な大人が、地域の自然環境を育む役割をしていた頃のことです。今の保護者世代や学校の先生は、地域の環境のことを正確に認識して子どもたちを導くのはなかなか難しくなってきているように思えます。
学校の出前授業でできるのは、フィールドワークのほんのさわりの部分だけです。自分たちの小学校区内の代表的なみどりを散策し、生き物とのふれあい方を体験して、座学ではこの地域の自然が抱える課題や解決方法をみんなで何度か考えて、可能であればそれを現場に還元します。例えば実際に伝統的な稲作を体験してもらい、気候や地形や生き物との関わりから人々が生態系の一部であることを学びます。みんな、自分の地域の自然を再発見できていることに目を輝かせ、未熟さや不快感や危険も痛感しながら、バーチャルでは無く本物を見る喜びを感じてくれています。楽しかったから大切に思え、それが将来の環境保全の担い手へと育ちます。別に自然保護を仕事にする必要は無いと思います。みんなが自然を大切に思えてケアできていれば、そもそも自然保護団体なんて必要ありません。横須賀に今あるみどりは、そんな将来の担い手に対しては寛大にあってほしいと思います。あぶないから入らないで、少ないから採らないで、ではなく、自己防衛できる範囲の危険は許容して原体験を優先し、子どもが少しくらい採っても平気なように今残っている生態系を元気づけてやりたいのです。
授業をした学区内の商店街や公園などを一人で歩いていると、子どもたちが世間話で「田んぼ最近どうなってるかな」「今度サンショウウオのようすを見に行こう」とあちこちから話し声が聞こえてきて、自然環境への関心の浸透ぶりにびっくりさせられています。子どもたちはまさに驚異、生かすも殺すも地域の大人達ではないでしょうか。自然環境も含め身の周りにある全てのものは、特別なドラマがあってそこにあります。最初に偶然握った1本の藁しべからでも、ぜひ探究心を持って調べてみてはいかがでしょうか。
天白 牧夫(てんぱくまきお)
博士(生物資源科学)
NPO法人 三浦半島生物多様性保全 代表
1986年、横須賀市阿部倉で生まれ育つ。
中学生の頃、環境保全活動家の柴田敏隆氏に出会い、師事。三浦半島で自然観察会や里山保全活動を展開しつつ、妙蔵寺の活動理念に深く賛同し周辺の自然環境の保全について提案、実践している。研究者としては大学3年時から爬虫類・両棲類の景観生態学的研究を進め、現在に至る。NPO法人では、三浦半島で最も危機的な自然は谷戸田を中心とする農村環境であるととらえ、企業や行政と連携し、市内各所で復田と環境学習に取り組んでいる。