お盆について 由来や歴史

「お盆とお施餓鬼」その1

[お盆の語源]

お盆の正式名称は、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。この言葉は、諸説がありますが、最も有名な説が、インドの古代言語であるサンスクリット語で「逆さ吊り」を意味する「ウラバンナ」という発音を漢字で音写したもので、転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味であるといわれています。

[お盆の由来]

お盆の行事は、『餓鬼事経(がきじきょう)』というお経などをもとに中国でつくられた『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』の、お釈迦様の弟子の一人、神通力(物事を見通す力)を持つ目連尊者(もくれんそんじゃ)が母親を救う話に由来しています。

目連尊者は、神通力によって、亡くなった母親が餓鬼道(がきどう)に落ちて苦しんでいることを知りました。そこでお釈迦さまに、どうしたら母親を救うことができるのかということを相談したところ、次のように答えられました。

「僧侶たちを、夏の修行が終わる7月15日に招いて、七世の父母と現在の父母の中で厄難(やくなん)をこうむっている人々のため、百味の食べ物・五種類の果物など様々な供物を盆に盛ってを供養しなさい。そうすれば母親を救うことができるでしょう。」

目連尊者がお釈迦さまの教えの通りにしたところ、その功徳によって母親を救うことができたということです。

この話が由来となって、父母やご先祖さまに報恩感謝をささげ、供養をする日となりました。

[お盆の歴史]

この行事は、中国において梁(りょう)の武帝(ぶてい)が大同4年(538)に同泰寺で盂蘭盆のお斉(おとき)(食事)を設けたことにはじまり、唐の時代(618~)の初めには盛んに行われるようになりました。

日本では、『日本書紀』において推古天皇の14年(606)に
「この年より寺毎に、4月8日・7月15日に斉(とき)を設けた」
とあるのが始まりで、続いて斎明天皇3年(657)七月の条(項目)に
「須弥山(しゅみせん)(仏教の世界観における中心となる山)の像を飛鳥寺の西につくり、盂蘭盆会を設けた」
とあり、同じく斎明天皇5年(659)七月の条には
「群臣(多くの臣下)に詔(みことのり)を下して、京内の諸寺において盂蘭盆経を講じさせ、七世の父母追孝の供養を行わしめた」
等とあります。

さらに『続日本紀』には、聖武天皇の天平5年(733)七月の条に
「盂蘭盆会の供物は大膳職(おおかしわのでのつかさ)(律令制で、宮内省に属し、宮中の食事や儀式の膳などをつかさどった役所)が調えること」
とあるように宮中の年中行事として行われるようになりました。

以後、平安期、鎌倉期、室町期、江戸期と時代を経ても宮中や将軍家における仏教行事としてさまざまな風習と結びつきながら継承されて、民衆にも広がっていきました。

先祖供養や死者追善(死者の冥福を祈って生きている者がよい報いを招くもとになる行為)として読経し、供物を供えるようになったのは、鎌倉時代末期頃からで、現在の形になったのは、江戸時代からのようです。さまざまな儀礼や各地の行事などと融合されながら、苦しみを受けている人々を、生きている私たちが供養することの功徳によって救いたいという心と、今の自分があるのは、ご先祖様のおかげであることを感謝する心をあらわす行事として現在に至っています。

知っておきたい

「お盆とお施餓鬼」

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