「お盆とお施餓鬼」その5
お施餓鬼について 餓鬼とは
【餓鬼について】
お盆やお施餓鬼の由来に出てくる餓鬼とは、仏教に説かれる十界の内の、地獄・餓鬼・畜生という「三悪道」の一つで、飢えと渇きに苦しむ者のことです。食べ物や飲み物を口に入れようとしても、すべて燃えてしまうので、お腹がいっぱいになることがないのです。日蓮聖人は、餓鬼になった目連尊者の母の姿について、次のように記されています。
「皮は雉の羽をむしり取ったような状態で、骨は丸い石を並べたようになっていた。頭は毛が抜けて毬のようになり、首は糸のようであり、腹は大海のように膨らんでいた。口を大きく開けて声を張り上げ、手を合わせて物を欲しがる姿は、飢えたヒルが人の匂いをかぎつけて寄ってくるようであった。」
目連尊者の母は、目連にとってはとても良い母親でしたが、物を惜しんで貪りの心が強く、自分だけよければいいという気持ちで、他人のことは少しもかえりみず、施しをしなかったために餓鬼になってしまったことを日蓮聖人は述べています。
また阿難尊者が出会った焔口餓鬼は、自分の心の中にある欲であるといえるのではないでしょうか。欲に支配されて心が餓鬼道に堕ちてしまわないように、お釈迦さまは阿難に施餓鬼の法を授けられたのです。阿難尊者が救われたということは、ちょっと立ち止まって自分本位の欲に振り回されている状態に気づいた、ということなのではないでしょうか。餓鬼道とはむさぼりの心の状態です。「自分だけが・・・」「自分さえよければ・・・」という自分本位の考え方の象徴が餓鬼として表されているのです。
「餓鬼の目に水見えず」という言葉があります。自分本位の欲にとらわれていると、かえって求めるものが身近にあることに気付かないという意味です。この言葉をどのように受け止めますか?
【命と心】
私たち人間は、他の人をはじめとする生きとし生けるものの存在なしには、一日たりとも生きていくことはできません。また、自分が生きているということは、この地球に生命が誕生してから一度たりとも途切れることなく、命をつないできてくださったご先祖さまの存在があるということです。そして自分を含め、ご先祖さまたちも食料をはじめとする多くの命に支えられてきたということ、すなわち自分の存在というものが、大きな命の流れの中にあり、いかに多くの命とつながっているという厳然たる事実を再認識すると共に、そうした目に見えるもの、見えないものへの感謝の気持ち(心)を形や行為にして供養し、命と心を見つめる機会がお盆であり、お施餓鬼であるのです。
日本の風習と盂蘭盆会
日本の風習で、盂蘭盆会と深い関係があるものを挙げておきます。
お中元
中国では、7月15日を中元と呼び、半年間無事に暮らせたことを祝い、先祖の霊を供養する日でした。元々道教では、中元は人間贖罪(罪ほろぼし)の日として、一日中火を焚いて神を祝う風習がありました。これが日本に伝わるとお盆の行事と習合し、先祖の霊を供養し、供え物を親類や知人に贈るようになりました。この習慣が、目上の人、お世話になった人等に贈り物をする現在の形に変化したお中元になったといわれています。
薮入り
「盆と正月」といわれるほど日本人にとってお盆は大切な行事であるとされてきました。江戸時代、お正月とお盆には奉公人が休みをとって実家に帰ることができる時期で、藪(草深い土地)へ帰るという意味で「薮入り」と呼ばれていました。特にお盆には地獄の鬼達も罪人を責めるのを休むということから「地獄の釜の蓋が開く」といわれています。漁師がこの時期漁をしないのは、地獄からさまよい出た死者に引き込まれるから
であるという説もあります。
また他家へ嫁いだ女性が実家に戻ることの出来る時期でもあり、自分と自分の家(先祖やルーツ)とのつながりを確認する大切な行事でもありました。
盆踊り
餓鬼道の苦しみから母親を救うことができた目連は、嬉しさの余り、踊りだしたという説や、平安時代に始まった空也上人の「踊り念仏」と合体して普及したという説、お盆に戻ってきた精霊を迎えて慰め、これをまた送り出すために始まったという説、お盆で家へ戻ってきた先祖の霊を楽しませるため、人々が集まって皆で踊りを踊ったことから来ているという説、地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したといわれています。
知っておきたい
「お盆とお施餓鬼」
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